大判例

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水戸地方裁判所 昭和48年(ワ)428号 判決

原告

田中耕一

右訴訟代理人

藤本重一

被告

茨城県

右代表者

岩上二郎

右指定代理人

小松崎勇

外四名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金二〇〇万円およびこれに対する昭和四六年一二月二四日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担する。」との判決および仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、原告はクッツング病と脳幹障害で昭和四三年一二月九日から茨城県立中央病院(以下中央病院という)に入院し、治療を受けていたが、昭和四六年一〇月二日、茨城県立友部病院(以下友部病院という)に精神科の治療を受けるために転院した。

二、昭和四六年一二月二三日、友部病院運動場において、治療の一環として、同病院の勤務者訴外医師関忠盛、同訴外看護婦海野昭子の指導の下に原告ら入院患者が六人位でサッカーの運動中、原告がボールを拾つた際、右海野が原告の左腕上部をつかんだだため同人が原告の上に重なるような形となつて両者とも転倒し、その際原告は左橈骨遠位端骨折等の傷害を受けるに至り、中央病院に通院して右骨折の治療をうけた。

三、本件受傷は、原告の治療にあたつていた被告の被用者である関忠盛は、原告がクッシング病患者であることを熟知していたのであるから、原告に対し、治療の一環として運動を選択するに際して、その強度にわたることをいましめ、原告の動静に注意を払い、適切な指導をなすべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、また同人の監督の下に看護婦をして運動の指導に当らしむるに際しても右の注意をもつてあたるように指示すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、原告をして漫然サッカーをさせた過失によつて生じたものであつて、右関忠盛の使用者である被告は、民法第七一五条により使用者として損害賠償責任を負うべきである。

四、右の不法行為により、原告には左手関節の運動機能障害が後遺症として残存し、これは自動車損害賠償保障法、労働者災害補償保険法にいう第八級六号の「上肢の三大関節中の一関節の用を廃したもの」に該当し労働者災害補償保険法(同法施行規則)では給付基礎日額四五〇日分、自動車損害賠償保障法(同法施行令)では金一六八万円の保険給付と定められており、かつ原告は受傷時三一年であつて、後遺症に基づく労働能力低下による精神上の苦痛は甚大であるから、これを慰謝するには金二〇〇万円が相当である。

五、よつて、原告は右関忠盛の使用者である被告茨城県に対し慰謝料金二〇〇万円およびこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和四六年一二月二四日より右完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。と述べ、被告の抗弁事実はいずれも否認すると述べた。

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として、

一、請求原因一の事実は認める。

二、同二の事実中原告主張の日時場所で友部病院勤務の看護婦海野昭子と原告とがともに転倒し、その際原告がその主張のような傷害を受けたこと、原告が右受傷治療のため中央病院に通院したことは認めるが、その余は否認する。原告ら入院患者はサッカーではなく、ボール遊びをしていたものであり、治療の一環というよりもレクリエーションであつた。またそれには友部病院勤務の医師関忠盛と看護婦海野昭子とが関与したが、指導したことはない。

三、同三の事実中、関忠盛は原告がクッシング病患者であることを知つていたことは認めるが、被告が右関の使用者である点を除き、その余は否認する。

四、同四の事実は否認する。

五、同五の主張は争う。

と述べ、抗弁として、

一、本件事故はボール遊びに際して生じたものであるから違法性が阻却される。即ち、

本件事故はその原因、傷害の態様、部位、程度からみて通常起りうることで、原告が医師や看護婦の指示命令によらず、自発的にボール遊びに参加した以上(当時原告は事理弁識能力に欠けるところがなかつた)、当然予測しなければならない事柄に属するものであつて、原告はあらかじめ被害者として承諾していたものということができ、加害者の行為は違法性を阻却するものというべきである。

二、仮りに、被告に損害賠償責任があるとしても、原告にもまた過失があつたのであるから、本件賠償額は減額されるべきである。即ち、担当医師は原告に対し、かねがね、クッシング病のため骨が弱いので、無理なことをしないよう注意を与えていたし、原告は事故当時就職も決定していて精神能力や理解力があつたのであるからボール遊びをすれば転ぶかもしれないこと、転べばけがをするかもしれないことは原告自ら理解していたはずであり、この理解に従い、事故が起きないように注意して行動することは可能であつたにもかかわらず自らこのような注意を怠つたため本件事故が発生するに至つたものであり、この点に原告の過失がある。

と述べた。

証拠〈略〉

理由

一原告がクッシング病と脳幹障害で昭和四三年一二月九日から中央病院に入院し、治療中のところ、昭和四六年一〇月二日友部病院に精神科の治療を受けるために転院したことは当事者間に争いがなく、被告が訴外関忠盛の使用者である点は被告において明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

二昭和四六年一二月二三日友部病院運動場において同病院勤務の看護婦海野(現姓神崎)昭子と原告とがともに転倒し、原告が左橈骨遠位端骨折等の傷害を受け、その治療のため中央病院に通院したことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すれば、原告は昭和四三年一二月クッシング病および脳幹障害により中央病院に入院し、手術や治療を受けて一応軽快したものの、精神的不安定等の精神神経症的症状を呈したので、社会復帰訓練のため友部病院に転院し、同病院の医師関忠盛の担当する第一病棟(合併症病棟)に入つたが、転院後薬物療法、精神療法および遊戯療法などが試みられたこと、本件事故当日も原告らを含む六名位の入院患者が遊戯療法の一つとして戸外でボール遊びをし、右病棟勤務の海野看護婦もこれに加つたのであるが、原告がボールを拾おうとした際、原告とボールの取り合いとなり右手で原告の左腕上部をつかんだためはずみで右海野が原告の上に重なるような形となつてその場に両者とも転倒し、その際原告は前記の如く左橈骨遠位端骨折の傷害を受けたが、右骨折は前のめりや前方転倒で手をついたときに発生し易い定型的な骨折であることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

三そこで、訴外医師関忠盛の過失の有無につき検討する。

〈証拠〉を総合すれば、クッシング病患者は骨がやわらかくなることが多く、少なくとも普通の人よりは骨折しやすい特質をもつていること、関忠盛医師は原告が友部病院に転院する際、右のような特質をもつたクッシング病患者であることを知つており(これは当事者間に争いがない)、かねて治療の一環として運動をとりいれるについても、担当看護婦に対し過激な運動はさせないよう注意していたこと、ところが関医師は本件事故の際、原告が間近に迫つた退院と、その後の就職先が決まつたこともあつて、上機嫌であり、常になく張切つてボール遊びに興じているのを認識しながらボール遊びの事前もしくは最中に前記の如き体質上怪我をしないように運動を差控えるべきことを自分自身、あるいは看護婦を通じて原告に注意し、さらに患者とともにボール遊びをする看護婦に対しても不慮の事故が発生しないよう注意することもせず、ボール遊び開始後間もなく本件事故が発生したことが認められるから、特段の事情の認められない本件においては本件事故は関医師の業務上の注意義務を怠つた過失により発生したものというべきである。

四すすんで、被告の違法性阻却の抗弁について検討する。

1、一般にスポーツやゲーム中に生じた加害行為についてはそれが、そのスポーツやゲームのルールないしは作法に照らし社会的に許容される行動である限り、そのスポーツやゲーム中に生ずる通常予測しうるような危険についてはそのスポーツやゲームに参加した者はその危険を受忍し、加害行為を承諾しているものと解するのが相当であり、このような場合、加害者の行為は違法性を阻却するものというべきである。

2、しかしながらこのことは被害者がスポーツやゲームには通常危険が伴うこと、その危険を避けるためにはいかなる行動に出ればよいかについて正常、適確な判断をなしうる能力を有しかつ、その自由な判断によつて承諾を決定しうる者である場合についていえることであつてしからざる者についてまで妥当するものではない。

3、ところで〈証拠〉を総合すれば、原告は精神神経症治療と社会復帰訓練のために入院中とはいいながらほとんど社会復帰の態勢も整い、退院を間近に控え、退院後の就職先も決定しておりその精神能力ないし判断能力についてもほとんど通常人と差がなかつたこと、本件事故の原因となつたボール遊びについても、多分にレクリエーション的な要素を含め、遊戯療法の一つとしてなされたものではあつたが、原告のような患者にとつては運動や遊戯そのものよりもむしろ広い戸外の空気を吸うことに大きな意味があり、従つて、担当医師としては戸外でのボール遊びなどのスポーツまたはゲームに原告のような患者が参加することを強制せず、その参加、不参加は専ら患者自身の自由な判断で決定できることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によれば原告は前記の如き正常適確な判断をなしうる能力と自由とを有していたものというべきである。

4、しかして、本件加害行為はボール遊びというゲームのルールないし作法に照らし、社会的に許容される行動であり、かつ、ボール遊びに付随することが通常予測されるものであることは前記認定によつて十分に認められるのみならず、証人中島雅之輔、同伊勢亀富士朗の各証言によれば、原告の本件受傷は低度の機能障害が残る程度のものであつて重症ではなく、社会的に容認される限度内にあることが認められる。

5、以上によれば、本件加害行為の違法性は阻却されるものというべく、被告の違法性阻却の抗弁はその理由がある。

五よつて、原告の本訴請求はその理由がないので失当として棄却を免れず民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。 (太田昭雄)

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